風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

価値判断の問題

「(…)死後の生命の信仰が消え去り、それとともに正義の女神がいつかは公正な捌きを下すだろうという確信も崩れ去ってからというものは、抑圧の苦しみを一生涯負わねばならぬ人々がそのうえ声まで人類の合唱に永久にかき消されているのを仕方ないと諦めることは、そう簡単には出来なくなってしまった。世界を階級闘争の歴史として解釈し直そうとしたマルクスの試みは、このテーゼの客観的正しさを信じない人々も魅了してきたが、それというのもこの試みが、公式の歴史記述から締め出された人々のために後世の歴史の中にひとつの場所を確保してやろうとする意図によって導かれているからにほかならない。」(ハンナ・アーレント全体主義の起源3』)
「(…)この文脈で重要な点は、良かれ悪しかれ、アメリカはいつもヨーロッパの人びとの企てであったということである。(…)この努力自体、すなわち、視たところ永遠に続くかと思われた人間の悲惨を征服しようとする以前からあったこの決意自体は、もちろんヨーロッパ史の、そして人類最大の成果の一つであろう。問題は貧困を絶滅するための闘いが、ヨーロッパからのうちつづく大量移民の影響でますます貧民自体の勢力化に入ることになり、したがって、自由の創設を鼓舞していた原理とは異なる、貧困から生まれた理想の指導の下に委ねられるようになったという点にあった。というのは、豊かさと際限のない消費は貧民の理想だからである。それは貧民の砂漠に浮かんだ蜃気楼である。この意味で豊かさと貧困は同じ硬貨の両面にすぎない。必然性〔貧窮〕の絆は必ずしも鉄で出来ている必要はない。絹でつくることもできるのである。自由と贅沢はこれまでずっと両立しないものと考えられている。そして近代的評価に立てばアメリカ建国の父たちが質素と「生活態度の素朴さ」(ジェファーソン)を固執したのは、現世の楽しみに対するピューリタン的な侮辱であると非難できるかもしれないが、このような非難は偏見からの自由を示すものではなく、むしろ自由を理解できない無能力の証拠だということである。というのは、あの「突然の富を求めようとする破壊的情熱」は決して感じやすい人の悪徳ではなく、貧民の夢なのだから。この情熱が、ほとんど殖民の最初から、アメリカにこれほどゆき渡っているのは、すでに十八世紀においても、アメリカが「自由の地、徳の中心地、抑圧されている人びとの避難所」であるばかりか、その状態からすれば自由も徳も理解することがむつかしいような人びとの約束の地でもあったからである。アメリカの繁栄とアメリカの大衆社会は、ますます政治的領域全体を荒廃に追いやっているが、そこで復讐を遂げているのは、やはりヨーロッパの貧民なのである。貧しい人びとの隠された欲望は「各人は必要に応じて」ではなく、「各人は欲望に応じて」である。必要が満たされた人びとにのみ自由は到来する、というのも真実なら、自分の欲望に専心して生きている人びとに自由はやってこない、というのも同様に真実である。十九世紀と二十世紀の大量移民の影響の下に理解されるようになったように、アメリカの夢はアメリカ革命の夢―――自由の創設―――でもなければ、フランス革命の夢―――人間の解放―――でもなかった。不幸にして、それはミルクと蜜の流れる「約束の地」の夢であった。そして近代テクノロジーの発展によって、もっとも広範な予想をも越えて、この夢がこんなにも早く実現したという事実のために、夢見る人びとが、自分たちが考えられるかぎり最良の世界に本当に住むことになったのだ、という確信をもったのはまったく当然のことであった。」(ハンナ・アーレント『革命ついて』)