風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

有効な時間の使い方

「利用されるということは本性上功利に属することです。もし私が私の手近にいる人よりもわずかの時間と苦労で何かをすることができるなら、自然に私はそれを彼の代わりに行なうことになるでしょう。こうして私は、隣人の中でも最も近い人、私のうちにある隣人のために私がなすべきことによって、わが身を滅ぼします。私よりももっと時間を労力を費やす人のために私が身を滅ぼすほど確保してあげようとしているものは何でしょうか。それは安楽です。安楽に価値があるとしたら、この安楽が自分に与えられたとき、つまりたいした仕事がないとき、この余暇を最高に使用できると想像するからにすぎません。しかしもし私に自分が満足するためすべてをなしうる力があるとしても、余暇を最高に使用できるか、保証するものはありません。私はおそらく退屈するしかないでしょう。」(ジャック・ラカン精神分析の倫理』)
もし自分の時間を所有することが可能だと信じるのなら、そのときからあらゆるものが私の時間を奪うために襲い掛かってくる。だからそこで唯一可能な行為は、自分の時間を守るためにあらゆる時間を費やすことだけである。「あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい」私のちょっとした時間を他の人間によって邪魔されると感じるとき、存在しないのはその私のちょっとした時間の方であり、もし相手からの誘いを断るなら、いつでも「特にやることないのに」と呟くことになる。誘われるとは、他者が時間を私に見出しているということであり、時間を所有していると感じない者には誘うのが億劫に思われるものだ。時間がもったいないと感じることは、時間をディスクールとして、つまり計算可能な時間として考えているということであり、少しの時間も無駄にしようと思わないものは、あらゆる事物を自分で行なうという形で最も時間を無駄にすることになるのだ。ただし時間を享楽の価値として、「今だけなんだから楽しもうぜ」という態度は、あいかわらず時間を所有物として使用している。私たちは「永遠の」時間に生きなくてはならないのだ。「永遠を時間的な永続としてではなく、無時間性と解するなら、現在に生きるものは永遠に生きるのである」(ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』)いっしょに二ミリオン行った人は次の機会にあなたに有効という利益を超えたものを与えてくれるだろう。誤解してはならないのは、あらゆる宣伝広告や、利益計算可能なビジネスの場合にはこのことは当てはまらないということである。おそらくこの場合はきちんと利益計算しないと困ったことになるだろう。お粗末な行為という意味ではなく、たとえ自分や敵が利益を得るのだとしても利益計算が不可能になる地点で行動しろということ、その意味でのみ利益計算を行なうという「無駄」を省くことが可能になる。「あなたを告訴して下着をとろうとする者には、上着もやりなさい」つまり反論するのではなく、相手が奪おうとしている所有物―――つまり告訴人はあなたが所有していることを信じているのだ―――に加えてさらに自身の所有物を与えれば、逆に相手が告訴を取り消さないのなら、相手に借りを作るか隷属してしまう恐れを持ってしまうことになる。所有物を守ろうとすれば、禁止によって相手の欲望を強めるだけだ。ただしこのことは流通できる消費財について当てはまるのであって恋愛のようなものには当てはまらない。この文脈で(ユダヤの律法は子孫を残すことが重要であるということに対して)あなたの敵を愛するということが理解されなくてはならない。