風鈴神社

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忘却探偵僕様ちゃんの思考実況3

これは自重(自嘲)しない無知を示す批評である。西尾維新について特権的に語ろうとすることは今まで留保してきたことを明るみに出す作業でなくてなんだろう。最初の疑問(偽問)「天才とは何か?」は近親相姦の事実を隠そうとするための罠ではないのか。殺人に対する過大評価と自己責任の徹底性は孤独を誤魔化すための嘘にすぎず、それゆえ恋愛ごっこの糾弾は実際的に行われなくてはならなかった。西尾維新はこれ以降、起源の問い「家族、あるいは家族であるような結びつきとは何か?」に戻ろうとする度に人助けや優しさといった世間的評価に屈するようになる。物語による正当化は無為に対する言い訳であり、初期の無力さを利用して世界を転覆させようとする試みとは明らかに矛盾する。感情量の有無は付き合っていく性質にすぎず自己評価が低いことからくる無関心と世間に対する軽蔑が変態であり続けることの倫理と接続すると凡庸な理想主義者を演じる道化役者になる。非人道的になっていくほど人間的になっていく物語は語られず、殺人の「どうでもよさ」を忘れようと努力している探偵が残ったのだ。普通の人間のふりに成功したわけだ。近親相姦の結婚は宇宙に対するロマンチックな憧れになってしまった。見事なまでの人類の勝利だ。
(『補足』ミステリー小説は解かれる謎の形式によって物語のパターンが決まる。被害者の特権という笠井潔の形式と対立するように西尾維新は加害者の特権を主張する。米澤穂信は日常の特権を主張するから犯罪が排除されるのとは対照的に上遠野浩平は日常の誤魔化しを暴こうとするがゆえに純粋な暴力装置が排除を実行する。捜査権の濫用と法的解釈の拡張、もしくは日常性の濫用と例外状態の拡張。)