風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

引用の装飾

「すでに作品を書き、そこに自分の言わねばならないことはすべて言ってしまっているのに、まだ自分は未完成で「大著」に取り組んでいるのだと他人に思い込ませる―――これがマラルメの、なかば無意識的な、なかば計画的な術策だった。自分への要求が強すぎるあまりの不毛という伝説を作り出す、このいかにも高貴な真実には、なんという計算のまぎれこんでいることか!マラルメの場合、後世の者は、彼がみずから描いた肖像を誠実に受け入れた。マラルメが遭遇したとも、抱懐したともいわれる、並みはずれた不可能性を一瞬たりとも疑ったことはなかった。だから、その可能性はマラルメという人間から切り離せないのだ。つまり、その不可能性でマラルメは偉大な人間と化すが、彼がこの偉大化の張本人であることを人は知らない。」(シオラン『カイエ』)
「ヴィヨンを、それにたぶんランボーを除けば、フランスの詩人は語句の技術者だ。つまり私のいう意味は、彼らは詩人ではなく教養人だということだ。彼らに求めるべきものも期待すべきものも何もない。」(同上)
外国人労働者に占拠されてしまったフランスについて、わが門番の女性が、まことに的を射たことを言う。「フランス人は働きたくないのよ、みんな書きたがっているんだわ……」おそらく彼女は、フランス人が役人になりたがっていることを考えていたのだ……。」(同上)